陽松庵は摂北三十三所観音霊場
第十番札所となっています!
この摂北三十三所観音霊場の起源は
貞享2年6月に久安寺塔中の寶釋院
圓海尊者が
西国霊場の範囲が広過ぎて
三十三所すべてを周ることができないと
嘆く世の人々の為に
北摂地域に於いて霊験顕著なる
寺院を選び
平間長雅(江戸時代の歌人)と共に
御詠歌の巻物を作成し各寺院を
巡拝しつつその巻物を納めて霊場を
開いたのが始まりといわれている
そうです
(摂北三十三所御詠歌集による)
陽松庵の御詠歌は
まつかげをのぼるもうれし
いはやまのほとけの
ちからつゑとたのみて
陽松庵内には観音様がいらっしゃいません
なのに何故観音霊場に選ばれたのかというと
吉田町の町外れにある墓所の奥に
岩山がありその山頂に観音様の石像が
お祀りされています(ここも陽松庵の
土地です)
今はお参りする人もなくその観音様の
首から上も取れて無くなっている
そうですが(和尚さんも地元住民と
一緒に頭を探したそうですが
見つからなかったそうです)
御詠歌にあるように昔の人は観音様を
拝みに岩山を登っていたようです
それを聞いた私も是非岩山の観音様の
元へお参りに行きたいと思っています
昔の白黒写真のハガキで映像が
残っていますので写真をアップして
おきますね
第十番札所御朱印もあります!
また、陽松庵には天桂の瀧という
今は幻の瀧も存在していました
更に前住の方丈さんが陽松庵の再興を
考えて一時料理人に来てもらって
天桂鍋なるものを陽松庵で出していた
そうです
今は参禅道場のみとなっている
陽松庵ですが、昔からあの手この手と
考えていたのですね!