陽松庵では2炷の坐禅の後に
本堂で般若心経のお勤めをします。
私は以前本寺での法務時に何度か
『なんでお経って何言ってるのか
解らない漢字だらけのものを読むのか、
日本なんだから日本語に訳したものを
読んでくれたら解り易いのに』と
聞かれたことがあります!
が、お経を日本語訳にしたところで
随所に仏教用語が使われているため
大してよく解りません
解るように訳したものとなると
読むのにめちゃくちゃ時間がかかります
般若心経のように短いお経ならまだまし
ですが、法要で勤めるようなお経と
なると聞く方も余程仏教に興味がなければ
疲れてしまうでしょうからやはり
お経は渡来して来た漢文のままで読誦する
方がいいと思います!
漢文の般若心経は皆さんもよく
ご存知だと思いますので
今回は陽松庵の和尚さんから頂いた
御守護に書かれてある般若心経の
和訓(和訳文)を書いてみます!
魔訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じ
たまいし時、五蘊皆空なりと照見して
一切の苦厄を度したまう
舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に
異ならず
色はすなわち是れ空、空はすなわち是れ
色なり 受想行識も亦是くの如し
舎利子よ、是の諸法は空相にして生ぜず
滅せず、垢つかず浄からず
増さず減らず、是の故に空の中には色も
なく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく
色も声も香も味も触も法もなし
眼界もなく、乃至意識界もなし、無明も
なく、また無明の尽くることなし
乃至老も死もなく、また老と死の尽くる
こともなし
苦も集も減も道もなく智もなく亦得もなし
得る所なきを以ての故に菩提薩埵は
般若波羅蜜多に依るが故に、心に罜礙なし
罜礙なきが故に、恐怖あることなく
一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟
したもう
三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に
阿耨多羅三藐咒三菩提を得たもう
故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ
大神咒なり、大明咒なり、是れ無上咒なり
是れ無等々咒なり、能く一切の苦を除き
真実にして虚ならず
故に般若波羅蜜多の咒をときたもう
即ち咒を説いて曰わく
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、
菩提薩婆訶 般若心経
下記に全国曹洞宗青年会さんの
ホームページからの現代意訳も貼り付けておきます
観自在菩薩が深遠なる智慧の完成を実践していたとき、もろもろの存在の五つの構成要素は、皆、固有の本性・実体を持たない「空」であると見極め、だからこそ、あらゆる苦しみと災いを克服した。
舎利子よ、形あるもの(色)は、空に異ならず、空は、形あるものと異ならないのである。形あるものは空であり、空は形あるものなのである。そして、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用もまた、同じく空なのである。
舎利子よ、あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。だからこそ、空であることには、形あるものは存在せず、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用も存在しない。眼・耳・鼻・舌・身体・心も存在しない。これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。また、老いて死ぬこともなければ、老いて死ぬことが尽きることもない。苦・集・滅・道という四諦もない。知ることもなければ得ることもない。
得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。
だからこそ知るべきである。般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなるさとりの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言なのである。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではないのである。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
訳文提供:菅原研州師
今年も銀杏の絨毯ができました!
